日が暮れ、夕が夜に変わってから数刻のこと。何とはなしに、僕はテントを出た。
空には、少しとはいえ欠けつつも燦然と光を落としている月があり、気温もほんのり温かい。外の空気を吸いたくて出たようなものだけれど、その時・その場所に来る為に、あるいは呼び寄せられてふらりと出た気さえする。――今日は、そんな夜だった。
ぺたらっ、ぱたらっ。
踵が上がり離れたサンダルが、次の瞬間また足の裏にくっついて、右左と音を鳴らす。歩くペースと歩幅を一定に保つと、地面に擦れる、ジャッ、という短く軽い音も混じりどことなくリズミカルに響いた。それに笑みをこぼしつつ空を見上げれば、柔らかな黄色。目を閉じれば、頬や髪を撫でていく気持ちのいい風に包まれる。
――ああ、本当にいい夜だ。
年寄りくさくしみじみ思いながら両腕を広げ、伸びと一緒に大きく空気を吸い込んだ。さながら、空を掴みに飛び上がらんと構える鳥のように。
つい数ヶ月前にこの土地で起きたことを、僕はテレビを通してしか見ていない。一週間も経たない内に実際に目の当たりにし、漂う空気そのものに言葉を失ったが、それ以上も以下もなく、ただそれだけだった。
少し足を伸ばせば、絶対的な〝無〟が在る。拠点は変われどそういう地で数ヶ月過ごしてもなお、どこか別の世界で起きた出来事のようにしか感じられない。それを腹立しくすら思う僕をよそに、現地の彼女たちは笑って声をかけてくれた。
どこから来たの?
男所帯の女の子って大変でしょう?
ありがとう。
一日置きでも楽しみができて嬉しいわ。
悲しむことに疲れきり、笑いでもしなければ平静を保てなかったのかもしれない。悲観していても仕方がないと、前を向いたからかもしれない。その胸中を問うのは憚られて聞けず、励ましに来たはずが逆に励まされ、上辺の笑顔で応えるしか僕にはできなかった。
だからこそその晩、心の底から思ったのかもしれない。『こんな素敵な夜なのに散歩に出ないなんて、すごく勿体ないことだ』と。
身に受けた風に髪を遊ばれたとき。広く高く青い空に圧倒されたとき。黄金色に輝く満月に心奪われたとき。何かが胸に詰まって、何かを叫びたくなって、誰かに伝えたくなって――人は心に筆をとるのだと思う。
その先に希望があるかどうかは誰にも分からない。けれど、悲しみや苦しみに目を向けたままじゃ、カラダを差し置いてココロが枯れ果ててしまうことを知っている。だから、言葉という名の水を紡いで自他に遣る。
そうして語るのは〈物語り〉。空を抱き、風を聴き、詩を詠うように、それは内なる夢幻を騙り語る。
〔語りたくなる夜に/了〕
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▽ 2011.06.20【初稿】
『I’m story-teller』の題で公開。公開先はモバゲー、後にpixiv。
▽ 2015.06.20【次稿】
エッセイに改稿&改題。破滅派にて公開。
▽ 2018.02.19
微修正して、なろうに引越し公開。
▽ 2020.12.10
ホームページにて公開。
※宮城県某所で書いた詩編を、丸4年後にエッセイへ昇華したもの。もうすぐ丸10年かぁと思うと、刻の経つ早さは優しくもあるのだなとしみじみ…。
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