【SS】三倍返しは心をこめて

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(約2300字、5分)
手作りには手作りを。ホワイトデーの1幕。

自作ゲーム案から生まれた番外編です。結局は案止まりに終わってしまったんですが、それはそれで我が青春の1ページ……。猪狩ちゃんと嶋先輩のコンビは、その後もいつか書いてあげたいな。

初稿:2007.03.20


【三倍返しは心をこめて】

午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
 つい今さっきまである種の沈黙に満ちていた教室内が、途端にガヤガヤと騒がしくなった。

「……っと、よし。戦闘準備完了」

 戦闘準備って何だよ、なんてツッコミは眠気を誘う小波(さざなみ)の如く。
 今の俺にとってはどうでもいいことだ。
 紙袋を手に、この想いを胸に。俺は待ち合わせ場所に向かうべく教室を後にした。

 今から遡ること28日、暦にして2月14日。俗に言う“バレンタインデー”でのこと。
 その日は比較的穏やかな天候で、まだ少し肌寒いにも関わらず俺は裏庭で昼寝をしていた。

「あー、いたいた。……嶋先輩!」
「んあ?」

 仰向けになったまま目を開けると、前――ようは上方だな――に見慣れた顔があった。

「猪狩(いのかり)か。どうした?」
「三倍返しでよろしく!」

 満面の笑顔で茶色い紙袋を目の前にかざし、「これを見よ!」と言わんばかりにガサガサと鳴らす。
 どこかで見たことがあるような……。ああ、購買の紙袋か。

「昼飯の差し入れか?」
「ちっがーうッ! チョコですよ。バレンタインの、チョコ!」

 そうか、今日はバレンタインデーだったな。
 全く縁がないものだから、すっかり忘れていた。――まぁ、嘘だが。

 世の男どもがチョコレートを心待ちにし、浮かれる者、涙する者とその姿は様々だ。
 倍返し・三倍返しというフレーズが付いて回るのも、またバレンタインならではのリスクに違いない。

「で? 三倍返しを前提に、それを俺にくれる、と?」
「そうです。ありがたく頂いてくださいね」
「……ありがたく貰っとくが、期待はするなよ」

 起き上がり、ぶら下げられたままの紙袋を受け取る。
 見た目の安っぽさに関わらず、ズシリと重みがあった。
 昨晩、妹が作り上げたものも、こんな感じなのだろうか?

「それじゃ、あたしは行きますね。まだお昼食べてないんで」

 彼女はそう言い置いて制服のスカートをヒラめかせ、裏庭を走り去る。
 その途中で転びかけ、振り返って照れ笑いなんてしてみせた。

 気をつけろよー。
 いくら腹が減ってるからって、スカートで転んだら痛いだろ。

「……白、か」

 その背中を見送りつつ、届くと血を見るであろう呟きをもらした。

 紙袋の中身は確かにチョコレートだった。
 少し雑な包装を解くと片手に乗る大きさの箱が現れ、ふたを開けると丸いチョコ達が顔を見せた。
 アーモンドが中に入っていて、そのカリッとした食感も含め美味かった。

 三倍返しとはいうが、それは金銭的な意味で――なんだろうか。
 明らかに手作りだった場合、お礼の気持ちを三倍にして返すのが本当の意味でのお返しではないだろうか。

「……影響されてるなぁ、俺」

 自嘲気味に苦笑する。
 あの男のことをなんだかんだ言っておきながら、なのだ。
 当たり前と言えば当たり前の行動かもしれない。

 馬鹿にされかねないと思い、独りで菓子作りをした。
 さり気なく猪狩本人に好みを聞いてみたりもした。
 「誰にあげるんだい?」などと母にはつつかれ、「お兄ちゃん、がんばって!」と妹からエールをもらったりもした。
 もちろん、渡す相手については秘密にしておいたが。

 そうこうして、今に至る。

 食堂へ向かう者、購買へ駆け出す者等でごった返す廊下を縫うように進む。
 目的地は待ち合わせ場所である裏庭だ。
 二年の教室がある三階から一階へと下り、玄関で靴を履き替え外に出た。

「今日もいい天気だ」

 雲ひとつない晴天の下、俺の思いがどちらへ転ぶのやら。
 一瞬頭をよぎった想像を振り払い、止めていた足を動かす。

 ――それにしても、ずいぶんいるもんだな。
 あちらこちらで“お礼”を手渡している男を見かけた。
 やはり、教室や廊下で渡すのは気恥ずかしいのだろう。
 俺の場合は、単に裏庭が定位置だというだけのこと。
 気恥ずかしさが無いかというと……そうでもない。

「しーませーんぱ~いっ! 遅いですよ~」
「猪狩、仮にも先輩にそれはないだろうが」

 俺の小言を「はい」を何度か言って流し、期待に満ち満ちた目で先を促す。

「で、で? 三倍返しは何を用意しました?」

 少々その期待が痛くなってきたせいもあり、何も言わずに紙袋を差し出す。
 彼女は数秒それを見つめた後、こちらも無言で受け取った。

「えっと……開けてみてもいいですか?」

 コクリと頭を縦にひとつ振る。
 それを受けてガサゴソと紙袋を開け、中を覗き込む。
 さぁ、鬼が出るが蛇が出るか――。
 こちらの気など知る由も無く、彼女はおもむろに中身を取り出した。

「……もしかしなくても手作りですか?」

 コクリ。

「先輩、実は照れてます?」

 コク……フルフルフルッ。

「照れてるんですね」

 …………コクリ。

 ――いったい、俺は何をしているんだ。
 自分の馬鹿さ加減に心の中で頭を抱えつつ、猪狩の手元を見つめる。
 包装されていないままの丸い缶が、カポッと音を立てて開けられた。
 中にあるのは、不恰好なクッキー……もちろん俺が作ったものだ。

「上手いですね」
「そ、そうか? だいぶ焦げ付いてると思うんだが……」
「それでも、上手いですよ」

 お世辞にも上手いとは言えない出来。
 それでも、彼女は上手いと言ってくれる。
 そして、俺の顔を真っ直ぐ見て、彼女は飛びきりの笑顔でこう言った。

「三倍返し、確かに受け取りました!」

 三倍返しが手作りですか、なんてツッコミが出ないだけで十分だった。
 それなのに出たのは鬼でも蛇でもなく、言うなれば天使。
 ――猪狩は、笑うと、すごく、かわいい。

 いつまでも呆けていることに不安を感じた彼女に、力強く体を揺すられるまで意識は宙に浮いたままだった。
 ただ、襟首を掴んで揺するのだけは止めるように言っておかねばなるまい。


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